5歳になっても、ほとんど言葉を話さなかった子供がいました。
両親は発育を本気で心配していたと伝わっています。
その子供こそ、後に相対性理論で世界を変えるアルベルト・アインシュタインです。
言葉の遅れとは裏腹に、9歳でピタゴラスの定理を自力で証明し、12歳で微積分まで独学してしまう。
この極端なギャップの背景には、父ヘルマンと母パウリーネという両親の存在がありました。
子供の頃の逸話と両親の人物像を、具体的なエピソードとともに整理します。
アインシュタインの子供の頃

出典:【衝撃】天才アインシュタインの驚きの生涯とは? – まりんぬ – 謎の歴史、文化
5歳まで言葉が遅かった少年
アインシュタインは1879年3月14日、ドイツ南西部のウルムで生まれました。
1880年夏、一家はミュンヘンへ移住し、1894年までこの地で暮らしています。
幼少期は言葉を話し始めるのが極端に遅く、5歳ごろまでほとんど会話をしませんでした。
両親が発育の遅れを心配するほどだったといいます。
ところが5歳を境に、状況は一変します。
方位磁石とバイオリンが人生を変えた
5歳の誕生日、父ヘルマンから方位磁石を贈られました。
見えない力で針が動く現象に衝撃を受け、後年「自然界への興味の原点」と振り返っています。
同じ5歳ごろ、母パウリーネの勧めでバイオリンを習い始めました。
モーツァルトの曲を好み、バイオリンは生涯の友になったといいます。
父からは科学への扉、母からは音楽への扉。
両親それぞれが、子供の原体験を用意した形です。
名門校を中退しても止まらなかった才能
5歳から3年間、ミュンヘンのカトリック系公立学校に通いました。
その後はルイトポルト・ギムナジウムへ進み、7年間在籍しています。
ただし軍国主義的で重苦しい校風になじめず、中途退学しました。
一方で数学の才能は別次元でした。
9歳でピタゴラスの定理を自力で証明。
12歳のとき、家庭教師役の医学生マックス・タルメイからユークリッド幾何学の本を渡され、独習で微分・積分まで習得しています。
現代ビジネス(講談社)の記事は、この時期を「子ども時代は頭が悪いと思われていた」という通説の源として紹介しています。
ギムナジウム中退後も才能は認められ、スイスのチューリッヒ連邦工科大学へ進学しました。
アインシュタインの両親

出典:アインシュタインのオタスケシュタイン「両親の50周年をお祝いしたい!」 – KATCHのチャンネル
父ヘルマンはどんな人物?
父ヘルマン・アインシュタインは1847年8月30日、ヴュルテンベルク王国ブーハウの生まれです。
職業は商人・電気技師で、1876年8月8日にパウリーネ・コッホと結婚しました。
1880年、弟ヤコブとともにミュンヘンで直流電気機器の製造会社を設立しています。
ヘルマンが営業、ヤコブが技術を担当する体制でした。
発電機や電流計を製造し、1885年にはオクトーバーフェストの照明契約を獲得するほどの実績を残しています。
ただし1893年、時代が交流方式へ移る流れに対応できず事業は失速。
1896年に工場を手放し、一家はイタリアへ移りました。
ヘルマンは1902年10月10日、ミラノで心不全のため55歳で亡くなっています。
息子が相対性理論を発表する1905年を、見届けることはできませんでした。
母パウリーネはどんな人物?
母パウリーネ・コッホは1858年2月8日、ヴュルテンベルク王国カンシュタットの生まれです。
ユダヤ人家庭の出身で、父方の祖父ユリウス・デルツバッハが1842年に家名を「コッホ」へ改姓しています。
教育水準が高く、芸術を愛する静かな女性だったようです。
自身もピアノをたしなみ、息子に5歳からバイオリンを習わせたのはこの母でした。
パウリーネは1920年2月20日、ベルリンで62歳で亡くなっています。
きょうだいと一家のその後
きょうだいは妹マリア(通称マヤ)ただ一人。
1881年11月18日に生まれ、1951年6月25日に亡くなりました。
マヤはベルン大学卒業後にパウル・ヴィンテラーと結婚。
ムッソリーニ政権下で反ユダヤ法が制定された後の1939年、渡米してプリンストンの兄のもとで暮らしています。
電気機器メーカーを営んだ父の家に生まれた子供が、のちに光と電磁気の理論で世界を変える。
この巡り合わせを、三省堂の人物解説シリーズも興味深い接点として取り上げています。
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まとめ

出典:【宇宙論】ニュートンやアインシュタインが追い求めた重力の正体とは? – VAIENCE バイエンス
アインシュタインの子供の頃と両親について、分かったことを整理します。
| キーワード | 分かったこと |
|---|---|
| 子供の頃 | 5歳まで言葉が遅く両親を心配させたが、9歳でピタゴラスの定理を自力証明、12歳で微積分を独学 |
| 両親 | 父ヘルマンは電気機器メーカーを経営(1880年設立、1896年廃業)、55歳で死去。母パウリーネは芸術を愛しバイオリンを勧め、62歳で死去 |
父が電気機器の工場を手放した1896年から、息子が相対性理論を発表する1905年まで、わずか9年です。
事業に失敗した父の家から、電磁気の理論で世界を変える物理学者が育った。
この9年間の歩みを追うと、また違った角度からアインシュタインの人生が見えてきます。
