高橋成美の経歴

出典:高橋成美の引退理由と驚きの経歴!スケートからJOC理事までの軌跡 – 芸能情報局チャンネル
スケートを始めたきっかけ
高橋成美さんは1992年1月15日、千葉県松戸市生まれ。
3歳のとき、小児喘息の改善を目的にスケートを始めました。姉を追いかける形での入門だったといいます。
幼少期はシングル選手として活動し、7〜8歳で早くも3回転サルコウを跳んでいました。
渋谷教育学園幕張高校を経て、慶應義塾大学総合政策学部を卒業。本人いわく、卒業までに約10年かかったそうです。
マーヴィン・トラン組で掴んだ日本人初のメダル
2007年、マーヴィン・トラン選手とペアを結成します。
2010年の世界ジュニア選手権で銀メダル。同年のジュニアグランプリファイナルでは、日本人として初めての優勝を果たしました。
そして迎えた2012年、フランス・ニースで行われた世界選手権。ここでペア日本史上初となる銅メダルを獲得します。
このペアは2012年12月18日に解消しました。
木原龍一組とソチ五輪
2013年1月30日、木原龍一選手との新ペア結成が発表されます。
このペアで臨んだのが2014年ソチ五輪です。団体戦5位、ペア個人戦では18位という結果でした。
木原組は2015年3月31日に解消。日本経済新聞の報道によれば、直前の世界選手権でショートプログラム19位、フリー進出を逃すという成績不振があったといいます。
全日本選手権のペア種目では、2008年から2014年にかけて計6度の優勝を重ねています。
引退後のセカンドキャリア
引退後の進路は、競技時代からは想像しにくいものでした。2019年5月、アイスホッケーに転向し、昭和大学のクラブチーム「ブルーウィンズ」に加入します。
2020年7月には松竹芸能に所属。元五輪選手の所属は、同事務所にとって初めてのことでした。
2021年6月25日、JOC理事に就任します。史上最年少での就任でした。任期満了後の2023年6月からは、JOC評議員やJOCアスリート委員を務めています。
NHK、テレビ朝日、フジテレビでフィギュアスケートの解説も担当しています。
高橋成美の引退理由

引退会見で語った言葉
2018年3月、日本スケート連盟に引退届を提出。同年4月5日、東京都内で引退会見が開かれました。
本人が挙げた理由は「けがもあり、十分な練習を積めなくなった」というものでした。
表情は決して暗くなかったといいます。「心の底から打ち込めるスポーツに出合えてラッキーでした」とも語っています。
怪我の経緯
2012年世界選手権でメダルを獲得した直後の4月、肩関節を脱臼。同年10月には右膝の手術を受け、復帰まで半年を要しました。
ソチ五輪前も膝の痛みは続いていたとされ、練習ではテーピングが欠かせない状態だったといいます。
10代からのペア人生で、怪我はずっと付きまとっていたことになります。
パートナー探しの難しさ
木原組解消後、ロシア出身のアレクサンドル・ザボエフ選手と新ペアを結成しますが、資金難により2015年中に解散します。
最後は柴田嶺選手とペアを組みましたが、2018年3月の引退で幕を閉じました。
日本にはペア文化が根付いていない中でのパートナー探しについて、本人はこう振り返っています。「ペア結成は、奇跡だった」。
3度にわたるパートナーの変遷も、引退の背景にあったといえそうです。
高橋成美の経歴を彩るエピソード

出典:フィギュアスケート 高橋成美さん 現役時代の身体との向き合い方について振り返る – 女子スポーツ専門メディア B& (ビーアンド)
語学力にも特徴があります。幼少期の中国滞在で中国語、インターナショナルスクールで英語、トラン組時代にフランス語、大学でロシア語を習得。日本語を含め7言語に対応するといいます。
安藤美姫さんからは「日本のペアの道を切り開いたデカい存在」と評されたことがあります。
松竹芸能に入った理由は、ますだおかだの岡田圭右さんに憧れていたからとのこと。将来の夢として「スポーツ庁長官」を公言しています。
2022年10月には、性的マイノリティであることを公表しました。
あわせて読みたい
- 高橋成美、姉ニコルと両親の職業から祖父母・子供の有無まで家族大公開
- 高橋成美の家族まとめ、姉・両親・祖父母・兄弟から子供の有無まで
- 高橋成美の学歴まとめ|羽生結弦と同じ小学校から慶應大学まで
- 高橋成美の結婚条件11項目とレンタル彼氏、彼氏いない歴34年の恋愛事情
- 夏色まつりは工業高校出身で電気工事士!出身地・中の人の年齢・身長・年収を徹底調査
まとめ

出典:2014 03 26 高橋成美 木原龍一 SP – momopppp2
高橋成美さんの経歴と引退理由を表にまとめました。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 経歴 | 2007年トラン組結成→2012年世界選手権銅メダル(日本人初)→2013年木原組結成→2014年ソチ五輪出場→2018年引退→JOC理事などセカンドキャリア |
| 引退理由 | 「けがもあり、十分な練習を積めなくなった」(2018年4月5日会見)。背景に度重なる怪我とパートナー探しの難しさ |
現役時代、シングルとペアの両方を経験した選手は多くありません。
その経験は今、JOCアスリート委員としての活動やテレビ解説の現場に生きています。
競技を離れても、フィギュアスケート界との関わりは続いているようです。
