決勝の翌日、届は出されていた

150キロ左腕、身長176センチ・体重94キロの大型投手が、決勝の興奮が冷めやらぬうちに動いていた。
沖縄尚学のエース、末吉良丞。2026年8月23日、夏の甲子園決勝の翌日にプロ志望届を提出していたことがスポニチアネックスの報道で明らかになった。
9月1日、日本高野連によるプロ志望届公示の初日に、末吉の名前も並んだ。提出そのものは8月23日、学校を通じて行われている。公示日と提出日がずれて伝わることもあるが、提出が早かったからこそ初日公示になったという順序だ。
育成契約は希望しない。支配下指名一本に絞る方針だという。
公示初日に名前が載った高校生は18人。その中で、優勝投手としての実績を持つ末吉の存在は目を引く。
甲子園優勝と国際大会での経験を積んだエースだからこそ、支配下指名にこだわる自信につながっているとも考えられる。
優勝投手が味わった、初戦敗退の悔しさ

出典:【甲子園】昨夏の優勝投手・末吉良丞、涙の初戦敗退「宮城選手のように勝てる投手になりたい」 – Samurai Legacy TV
2025年夏、末吉は2年生ながら背番号「1」を背負い、沖縄尚学を夏の甲子園初優勝に導いた投手だった。新垣有絃とともに、チームの快進撃を支えた二枚看板の一人。同年9月にはU-18ワールドカップにも出場し、日本代表準優勝に貢献している。
ところが迎えた2026年夏、状況は一変する。
1回戦、横浜の織田翔希と投げ合った末吉は3回3失点で降板。優勝投手が翌年まさかの初戦敗退という結果に終わった。試合直後、本人は「進路は未定」と話していたという(沖縄タイムス)。
背景には故障もあった。2026年3月、選抜大会後に左肘の不調でノースロー調整を強いられる期間があったと沖縄タイムスは報じている。それでも夏の沖縄県大会決勝では140キロ台後半の直球を連発し、甲子園には通算4度目の出場を果たしていた。1年生の秋からエースを任されてきた投手にとって、故障明けの初戦敗退は初めての大きなつまずきだったといえる。
「本当に大学かな」と思っていた、両親の一言

出典:沖縄尚学 末吉良丞投手《 全投球 9回表に登板》侍ジャパン壮行試合 大学日本代表 7 – 1 高校日本代表 U-18 2026.8.29 – paretoma パレトマ
末吉は当初、大学進学を思い描いていたという。スポニチアネックスの取材に「本当に大学かなと自分は思っていた」と明かしている。
転機は初戦敗退の直後だった。沖縄に戻り、両親と進路を相談。「プロ以上の環境はない」という両親の言葉が、プロ志望届提出の後押しになったという。
指名について、本人の言葉は謙虚だ。
「指名されるかどうかも分かんない」としながらも、「自分の中では入ってからが勝負。しっかり指名されることに照準を置きたい」と語っている。初戦敗退から間もない時期の発言だけに、覚悟の重みが伝わってくる。
ドラフトまでの日程と、台湾での代表戦

プロ志望届の提出締切は10月8日。ドラフト会議は10月22日に開催予定で、志望届を出した選手たちの動向にも注目が集まる。
9月1日の公示では、末吉のほかにも高校生が名を連ねた。
- 北口晃大(八戸学院光星・投手)
- 丹羽涼介(市和歌山・投手)
- 内藤峻(上田西・投手)
- 平山護(東筑・捕手)
明治神宮大会でバックスクリーン弾を放ち、九州国際大付の初優勝に貢献した牟禮翔も、同時期にプロ志望届を提出している(スポーツ報知)。投手の末吉、野手の牟禮翔と、タイプの異なる注目選手が同じタイミングで並んだ格好だ。
末吉自身は一足先に、9月7日開幕の「第14回BFA U-18アジア野球選手権」で台湾へ向かう。2025年のU-18ワールドカップで日本代表準優勝に貢献した実績を引っさげ、プロ入り前最後の国際舞台に臨む。
