入団発表の翌日、教室で担任にユニフォームを差し出した高校1年生がいました。
サインを頼まれて書いたのは、一画ずつ丁寧な楷書の名前です。
その生徒が柿谷曜一朗さん。
出身中学は私立の追手門学院大手前中学校、出身小学校は大阪市立都島小学校です。
小学校の卒業文集に書いた「16歳でプロになる」という目標は、この中高一貫校に在学している間にかないました。
柿谷曜一朗の小学校は大阪市立都島小学校

出典:柿谷曜一朗選手から区民のみなさまへのメッセージ – 大阪市都島区役所
都島小学校は、大阪市都島区都島本通3丁目にある公立の小学校です。
創立は1875年3月12日で、150年を超える歴史があります。
柿谷さんは1990年1月3日、大阪市都島区の生まれ。
地元の小学校に通っていたことになります。
ただし、柿谷さん本人のWikipediaの記事には小学校名が載っていません。
根拠は都島小学校側の記事です。
「著名な出身者」の欄に「柿谷曜一朗 – サッカー選手」と書かれています。
都島小時代に決めた「16歳でプロ」

出典:元サッカー日本代表 柿谷曜一朗!16歳でプロ契約→寝坊&ゲーセン三昧で罰金80万に強制J2島流し!? – しくじり先生 俺みたいになるな!!【公式】
きっかけは4歳の家族旅行
家族旅行の途中、セレッソ大阪の選手を乗せたバスが通りかかりました。
手を振ると、GKのジルマール選手が振り返してくれたそうです。
これがサッカーを始めたきっかけでした。
4歳でセレッソ大阪のサッカースクールに入り、のちにU-12、U-15、U-18と上がっていきます。
プロを目指すと決めたのは小学1年のとき。
「セレッソ大阪vs東京ヴェルディ」の試合を見たのがきっかけだと、育成年代向けのサッカーメディア「サカママ」のインタビューで話しています。
体格差でプレースタイルが変わった
| 時期 | 出来事 |
|---|---|
| 幼少期 | 体が弱く、野球ボールを壁に蹴る練習を繰り返す |
| 低学年 | ドリブルとシュートが中心 |
| 中学年 | 5・6年生と練習し、体格差で通用しなくなる |
| 小学4年 | ナショナルトレセンに選ばれる |
上級生に当たり負けする中で、技術を磨き、周りを活かすプレーを身につけました。
力で勝てない環境が、プレーの幅を広げたことになります。
卒業文集に書いた期限
ナショナルトレセンに選ばれて、プロへの意識は一気に高まりました。
小学校の卒業文集に書いた言葉は「16歳でプロになる」。
12歳の自分に、夢の期限まで書けたでしょうか。
柿谷さんは、この期限どおりにプロになります。
校門で待つ母の車と、結果を話さない息子

出典:【解説】サッカー元日本代表・柿谷曜一朗が丸高愛実のメイク解説してみた⚽️🗣️ – MARUTAKA CHANNEL
学校が終わると、母親が校門の前まで車で迎えに来ていました。
そこから練習へ送り届ける毎日です。
一方で柿谷さんは、小学生のころから練習や試合の結果を両親に話したことがありません。
「両親はサッカー経験者ではないので『サッカーを頑張って親に褒めてもらいたい』と思ったことは1度もない」
送り迎えで支える親と、親にほめられることを目標にしない子ども。
小1で自分で決めた「プロになる」という目標が、原動力だったことがうかがえます。
柿谷曜一朗の出身中学は追手門学院大手前中学校

進学先は、大阪市中央区大手前1-3-20にある私立の追手門学院大手前中学校。
中学1年で入学し、そのまま追手門学院大手前高等学校に進みました。
同窓会「山桜会」の会報93号(2014年6月)は、柿谷さんを「大手前中学第56期生」と紹介しています。
ブラジルW杯の日本代表に選ばれたことを祝う記事でした。
中学受験を決めたのは母親
塾には通ったものの、本人はサッカーのことしか頭になく、勉強はしなかったそうです。
受験を決めたのは母親でした。
サカママの取材に、柿谷さんは母親の考えをこう説明しています。
「僕がサッカーでケガをしたり、駄目になった時のことも考えて、大学まで続いている付属の中学に行かせてあげたいという親心」
プロを目指す息子を応援しながら、夢がかなわなかったときの進路も用意しておく。
校門までの送り迎えと同じで、地に足のついた支え方です。
在籍は中1から
「中学2年から通っていた」と読み違えやすい資料があります。
追手門学院大手前の校長ブログにある「中学2年〜高校1年」という記述です。
これは校長が柿谷さんの担任をしていた3年間のこと。
同じブログに「本校入学直後の中学1年生の頃から年代別日本代表に選出」とあるので、中1から在籍していたことが分かります。
部活に入らず、放課後はセレッソへ

出典:【セレッソ大阪】柿谷曜一朗柿谷曜一朗 今年は特別な1年「リーガーはこれだけできるんだぞ!というのを見せられるチャンス」【あすリートチャンネル】 – 【公式】あすリートチャンネル
中学でも高校でも、柿谷さんは部活に入りませんでした。
進学情報サイト「日本の学校」の特集では、当時をこう振り返っています。
「ほとんど毎日、セレッソのチームで練習していました」
「サッカーしかしてこなかった学生時代とも言えるでしょうね」
中学2年の時点で、すでにセレッソ大阪U-18の練習に参加。
高校生年代のチームに、中学生が一人混ざっていたわけです。
中1からは年代別日本代表にも選ばれていました。
担任のブログによると、代表の招集で教室を空けることも多かったとのこと。
それでも遠征から戻ると、すぐに大勢の友人に囲まれていたといいます。
高1の3学期、16歳でプロ契約

出典:柿谷曜一朗が語るU‐17ロングシュート秘話&レアル移籍をやめた真相 #1 – 鈴木啓太 / Keita Suzuki
1月3日生まれの柿谷さんは早生まれです。
16歳の誕生日は、高校1年の3学期に来ました。
誕生日を迎えてすぐの2006年、セレッソ大阪とプロ契約。
クラブ史上最年少のプロ契約で、卒業文集に書いた「16歳」という期限ちょうどでした。
プロ契約を機に追手門学院大手前を離れ、その後は通信制高校に通いました。
同じ2006年にはAFC U-17アジア選手権で大会MVPに選ばれています。
翌2007年のFIFA U-17ワールドカップでは、フランス戦とハイチ戦でゴールを決めました。
1学年上の香川真司さんも、同じように通信制高校に通いながらプロでプレーしていました。
デイリースポーツ(2026年6月12日配信)の記事で、柿谷さんは香川さんを「その成長スピードが、ちょっともう桁違い…」と話しています。
担任が見た“パンチの効いた”生徒

中2から高1まで担任だった校長は、2025年12月14日のブログで柿谷さんをこう書いています。
「決していわゆる『優等生』ではなく、教室でも学校内でも、なかなかに“パンチの効いた”生徒」
楷書のサインは「唯一のもの」
冒頭のユニフォームは、入団発表のときに着ていたものです。
「先生……これ」と手渡され、担任が「じゃあ、サインでも」と頼みました。
そこで書かれたのが、楷書の『柿谷曜一朗』。
担任は「あの楷書のサインは唯一のものかもしれません」と書いています。
成人の会で「アホやったな……」
プロ入り後、柿谷さんは練習への遅刻を繰り返し、当時J2だった徳島ヴォルティスへ移籍することになります。
成人の会などで担任と再会したとき、この時期のことを「アホやったな……」と振り返ったそうです。
徳島新聞の2014年5月13日の朝刊によると、柿谷さんは徳島での2年半で「仲間への献身や勝利への渇望」を身につけました。
担任に見せた反省の言葉には、この2年半の経験があります。
引退試合と同じ日に書かれた担任のブログ
試合の舞台裏](https://img.youtube.com/vi/Q9-WSJ-ddIk/hqdefault.jpg)
出典:【完全密着】超豪華レジェンド大集結!柿谷曜一朗 引退試合の舞台裏 – 柿谷曜一朗 ドリームプロジェクト / YOICHIRO DREAM PROJECT
柿谷さんは2025年1月18日に現役引退を発表しました。
引退試合は同じ年の12月14日、ヨドコウ桜スタジアムで開かれました。
ガンバ大阪の選手を中心にした相手との「大阪ダービー」形式です。
これまで紹介してきた担任のブログも、日付は同じ12月14日。
楷書のサインや「アホやったな……」の話は、教え子の引退試合の日に書かれたものでした。
プロ契約から引退試合まで19年。
都島小学校の文集に書いた一行から始まった道が、地元の大阪で終わったことになります。
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まとめ

出典:柿谷曜一朗変態プレーランキング総集編 – 世界のサッカー事情
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 出身小学校 | 大阪市立都島小学校(都島区・1875年創立) |
| 小学校時代 | 小4でナショナルトレセン、卒業文集に「16歳でプロになる」 |
| 出身中学 | 追手門学院大手前中学校(私立・中央区/大手前中学第56期生) |
| 在籍期間 | 中1で入学(担任を受けたのが中2〜高1) |
| 中学受験 | 母親が決めた。「大学まで続いている付属」を選択 |
| 部活 | 入らず、ほぼ毎日セレッソで練習 |
| 高校 | 追手門学院大手前高校→高1の3学期に離れ、通信制高校へ |
| プロ契約 | 2006年・16歳。クラブ史上最年少 |
母親は、大学まで続く付属校という道を用意していました。
実際には、12歳のときに卒業文集に書いた一行のほうが先にかないました。
