柿谷曜一朗の出身校は追手門から転校|明治大学説と早稲田eスクールの真相

2025年12月14日、ヨドコウ桜スタジアムに詰めかけた観衆は2万749人。そのスタンドに、彼が中学2年から高校1年までの3年間、クラスの担任を務めた教師の姿がありました。

柿谷曜一朗さんの引退試合です。

母校である追手門学院大手前中・高等学校の公式サイトには、その日の観戦記が「校長ノート」として残されています。書き出しに近い場所に、「本校56期生」の一文。

いっぽうで検索窓には「柿谷曜一朗 明治大学」という組み合わせも並びます。ただ、この2つを結ぶ記録だけは、どこを探しても出てきませんでした。

目次

柿谷曜一朗の出身校は追手門学院大手前

【ジーニアス】柿谷曜一朗の周りからの評価が天才すぎた...

出典:【ジーニアス】柿谷曜一朗の周りからの評価が天才すぎた… – サッカーノワダイ

1990年1月3日、大阪市都島区生まれ。2026年9月時点で36歳です。

学校歴をたどると、中学も高校も追手門学院大手前。ただし高校は、卒業までそこにいません。

中学校はどこ?

追手門学院大手前中学校。裏付けているのは、同校が2025年12月に公開した校長ノートです。

「本校56期生」と明記されたうえ、現校長自身が中学2年・3年・高校1年の3年間、柿谷さんの担任だったことまで書かれています。

学校の公式文書が、卒業生の担任まで名指しで記す。このレベルの一次情報は、出身校ネタとしてはかなり強い部類に入ります。

高校と、在学中の転校

高校も追手門学院大手前高等学校へ。セレッソ大阪ユースの活動と学業を両立できる環境が、進学理由とされています。

ところが2006年5月、状況が一変します。

クラブ史上最年少となる16歳でセレッソ大阪とプロ契約。これに伴い、クラブと業務提携していたウィザス高等学校(現・第一学院高等学校 高萩本校)へ転校しました。

つまり「高校の出身校は?」への正確な答えは、追手門学院大手前高校とウィザス高校の2つになります。

サッカーの学び舎は学校ではなかった

もうひとつの出身校が、セレッソ大阪の育成組織です。

  • 1994年:セレッソ大阪スクール
  • 2000年:C大阪U-12
  • 2002年:C大阪U-15
  • 2005年:C大阪U-18
  • 2006年:トップチーム昇格

4歳からトップチームまで、一本道。ゲキサカの選手データも経歴欄を「C大阪U-15-C大阪U-18-C大阪」と記録しています。学校の部活動名が一度も挟まらない経歴は、Jリーガーの中でも純度が高いタイプです。

「柿谷曜一朗=明治大学」を検証した結果

【山田直輝】「初めて自信を折られた…」U15日本代表で衝撃を受けた柿谷曜一朗との出会い

出典:【山田直輝】「初めて自信を折られた…」U15日本代表で衝撃を受けた柿谷曜一朗との出会い – 柿谷曜一朗 ドリームプロジェクト / YOICHIRO DREAM PROJECT

先に結論から。明治大学と柿谷曜一朗さんを結びつける事実は、信頼できる媒体では一件も確認できませんでした。

明治大学側の記録に名前はない

関東大学サッカーリーグ1部に所属し、2019年に学生5冠を達成した明治大学体育会サッカー部(東京都世田谷区)。その関係者・OBに柿谷さんの名前はありません。同姓の選手も見当たりませんでした。

大学公式の卒業生紹介ページ「校友山脈 明治大学140→150周年 150人の卒業生たち」にも記載なし。

さらにWikipedia、JFAの日本代表選手ページ、セレッソ大阪・名古屋グランパス・徳島ヴォルティスの各クラブ公式サイトを当たっても、明治大学の文字は出てきません。検索需要がどこで生まれたのかは特定できていません。

進学したのは早稲田大学の通信課程

実際の進学先は、早稲田大学 人間科学部eスクール。通信教育課程です。

合格が発表されたのは2008年1月25日。当時セレッソ大阪に所属する現役Jリーガーとして、ほかのJリーグ選手とともに報じられました。

「明治」ではなく「早稲田」、しかも通信課程。学歴系の検索で食い違いが起きやすいのは、この通信課程という部分が抜け落ちて伝わるからだと考えられます。

16歳の高校生が通信制を選んだ理由

元サッカー日本代表 柿谷曜一朗!16歳でプロ契約→寝坊&ゲーセン三昧で罰金80万に強制J2島流し!?

出典:元サッカー日本代表 柿谷曜一朗!16歳でプロ契約→寝坊&ゲーセン三昧で罰金80万に強制J2島流し!? – しくじり先生 俺みたいになるな!!【公式】

転校の背景を、当時のスケジュールから逆算すると腑に落ちます。

2006年11月26日、J1第33節の大宮アルディージャ戦でプロ初出場。同じ年のAFC U-17アジア選手権では日本の優勝に貢献し、MVPまで受賞しています。

翌2007年にはFIFA U-17ワールドカップにも出場。

16歳から17歳にかけて、国内リーグと海外遠征を並行する生活。全日制の教室に座り続けるのは物理的に無理があります。

高校はクラブと提携した通信制へ、大学は通信教育課程へ。学歴の途中に見える「転校」は、キャリアを守るための現実的な設計だったわけです。

担任だった校長が見届けた最後の90分

【#言葉に6秒深呼吸】元サッカー日本代表 柿谷曜一朗さんが語る「心ない言葉」 篇

出典:【#言葉に6秒深呼吸】元サッカー日本代表 柿谷曜一朗さんが語る「心ない言葉」 篇 – TEAM JAPAN

引退試合の正式名称は「YANMAR presents THE LEGEND DERBY YOICHIRO KAKITANI -LAST MAGIC-」

2025年12月14日、ヨドコウ桜スタジアムに2万749人。OSAKA PINKがOSAKA BLUEを4-3で下し、柿谷さん自身が劇的な決勝点を含む2ゴールを挙げました。

ピッチには香川真司さん、森島寛晃さん、遠藤保仁さん、宇佐美貴史さん、本田圭佑さんが集結。セレッソ歴代の背番号8も勢揃いする構成でした。

校長ノートが注目しているのは、その舞台の選び方です。自身のサッカー人生を最も形づくったクラブのホームスタジアムを選び、ガンバ大阪の選手を中心とする相手との「大阪ダービー」として企画した——教え子の最後の設計図を、かつての担任がそう読み解いています。

引退から3か月後の「現役復帰」宣言

【現役復帰】最優秀ゴール2回受賞のファンタジスタ柿谷曜一朗が新競技に参戦!チャンピオンに向けた戦いが始まる!

出典:【現役復帰】最優秀ゴール2回受賞のファンタジスタ柿谷曜一朗が新競技に参戦!チャンピオンに向けた戦いが始まる! – 那須大亮 / Daisuke Nasu

2024シーズン限りで徳島ヴォルティスとの契約が満了。2025年1月18日に現役引退を発表し、23日に記者会見を開きました。

それから約3か月後の4月1日、SNSにこんな投稿が並びます。

> 「魅力あるオファーを頂き現役復帰することに決めました」「自分に嘘はつけない」

競技名を伏せた予告の翌日、明かされた正体はサッカーではありませんでした。

テックボール。ハンガリー発祥の、曲面テーブルでサッカーボールを打ち合う競技です。日本テックボール協会のプレイング・アンバサダー就任を発表し、「主人公になれる」とコメントしています。

2026年5月放送のABEMA「しくじり先生 俺みたいになるな!!」では、靭帯断裂と剥離骨折を抱えたままプレーを続けた時期を涙ながらに振り返りました。中傷が激しくなり、病院では「抑うつ状態」と診断されたことも告白。

引退を決断できたきっかけは、妻でタレントの丸高愛実さんの「もう辞めたら? 大丈夫だよ」という一言だったと語っています。

あわせて読みたい

まとめ

柿谷曜一朗変態プレーランキング総集編

出典:柿谷曜一朗変態プレーランキング総集編 – 世界のサッカー事情

検索キーワード 答え
柿谷曜一朗 出身校(中学) 追手門学院大手前中学校(本校56期生)
柿谷曜一朗 出身校(高校) 追手門学院大手前高等学校 → 在学中にウィザス高等学校(現・第一学院高等学校 高萩本校)へ転校
柿谷曜一朗 出身校(大学) 早稲田大学 人間科学部eスクール(通信教育課程・2008年合格)
柿谷曜一朗 明治大学 在籍・OBいずれの記録も確認できず。大学は明治ではなく早稲田
サッカーの育成歴 セレッソ大阪スクール(1994年)からトップ昇格(2006年)まで一貫

学歴だけ並べると、転校あり・通信課程ありの「変則的な経歴」に見えます。

ただ、16歳でプロ契約した選手にとって、これは寄り道ではなく最短ルートでした。追手門学院大手前の校長ノートは同校の公式サイトで今も公開中。担任の目線で書かれた教え子の記録は、経歴表では読み取れない部分を補ってくれます。

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この記事を書いた人

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