柿谷曜一朗の引退はいつ?発表から引退試合まで

出典:【新旧8番ならではの空気感】香川真司 × 柿谷曜一朗 試合後インタビュー – Jリーグ公式チャンネル
階段の上り下りもままならないほどの痛みを、何年も抱えたまま試合に出続けていた選手がいます。
柿谷曜一朗さんです。
引退発表は2025年1月
2025年1月18日、徳島ヴォルティスが公式サイトで現役引退を発表しました。Jリーグ公式サイトにも同日17時30分に掲載されています。
本人は「2024シーズンをもって引退することを決めました」とコメント。35歳、プロ生活19年での決断でした。
前段となったのは2024年11月9日の契約満了発表です。「自分はヴォルティスで身体が動かなくなるまでサッカーがしたかったのですが叶いませんでした」と当時のコメントを残しています。
引退会見は1月23日、古巣セレッソ大阪の本拠地ヨドコウ桜スタジアムで実施。約80分に及ぶ会見で、今後は「サッカー系文化人」としての活動をメインにすると表明しました。
引退試合は2025年12月、大阪ダービー形式で
引退試合が組まれたのは、それから約1年後の2025年12月14日です。
「THE LEGEND DERBY YOICHIRO KAKITANI -LAST MAGIC-」と題し、セレッソ系「OSAKA PINK」対ガンバ系「OSAKA BLUE」という大阪ダービー形式で行われました。
結果はPINKが4-3で勝利。柿谷さん自身も2得点を記録し、うち1点は88分の決勝弾でした。
観客数は20,749人。香川真司さん、乾貴士さんら盟友がPINK側に、中田英寿さんや本田圭佑さんらがBLUE側に集結する豪華な一戦になりました。
柿谷曜一朗はなぜ引退した?引退理由を本人の言葉から読む

出典:涙の授業!元サッカー日本代表 柿谷曜一朗先生が「殺害予告」と「抑うつ状態」を乗り越えレジェンド集結の引退試合を迎えるまでのサッカー人生【後編】 – しくじり先生 俺みたいになるな!!【公式】
引退理由として最初に語られたのは、身体の限界でした。ただ、それだけではありません。
アキレス腱の痛みを隠してプレーしていた
2025年5月30日、ゲキサカの取材に応じた柿谷さんは「アキレス腱がだいぶ痛くて、約4か月くらいほぼ強度の高いトレーニングはしていなかった」と明かしています。
「階段の昇り降りもできないような状態だった。現役中にもよくあって、それを隠してやって、チームにすごい迷惑をかけた」とも語りました。
サッカーが「しんどく、難しく」なった
引退会見での発言はさらに踏み込んでいます。
「僕はサッカーが大好きで、すごく楽しくて、簡単で、これほど僕に合ったスポーツはないと思って続けてきました。でも、いまはしんどくて、難しくて」。
「これは35歳になって思ったというよりは、正直、数年前からありました」とも述べており、不振に終わった2024年(29試合0得点)は「チームに何ひとつ貢献できなかったのがすべて」と振り返っています。
近年の戦術偏重の潮流にも触れ、「90分間でやることが決まっているようなサッカーになっている」「僕としては90分間、やはり放っておいてほしかった」とこぼしていました。
天才プレッシャーと誹謗中傷、そしてうつ病の告白
2025年5月放送のNHK徳島「あわとく」で、柿谷さんは約7年前に医師からうつ病と診断されていたことを初めて明かしました。
「これは出してないです。病院にも行きました」「練習場に向かうと、どんどん息がしにくくなる」。
妻の丸高愛実さんは「サポートできてたんだろうか…ほんま悔しくて申し訳ない」とコメントしています。
さらに2025年6月放送のNHK「サンデースポーツ」では、10代から続いた中傷のうち「お前が8番つけるな」という言葉が最もこたえたと告白。「消えてしまいたくなる」時期もあったといいます。
柿谷曜一朗の経歴

出典:【ジーニアス】柿谷曜一朗の周りからの評価が天才すぎた… – サッカーノワダイ
19年におよぶプロ生活は、大阪の下部組織から始まりました。
4歳でセレッソ入り、16歳で最年少プロ契約
1990年1月3日生まれ、大阪市都島区出身。4歳でセレッソ大阪の下部組織に加わり、U-12からU-18まで一貫して育っています。
2006年、追手門学院大手前高校在学中の16歳でクラブ史上最年少プロ契約を締結。同年11月26日にJリーグ初出場を果たしました。
徳島への”懲罰移籍”からJ1得点争いへ
2009年、徳島ヴォルティスへ期限付き移籍。実はこれ、練習遅刻を繰り返した末にクルピ監督から「もう来ないでほしい」と告げられての移籍だったといいます。
2012年にセレッソへ復帰すると一変。2013年はJ1で21得点を挙げ、クラブの日本人J1シーズン最多得点記録を更新しました。ベストイレブンや最優秀ゴール賞も受賞しています。
同年、森島寛晃さんからの要請で背番号8を継承。森島さん、香川真司さん、清武弘嗣さんに続く4人目でした。
バーゼル挑戦と日本代表
2014年7月、スイスのFCバーゼルへ移籍。同年のブラジルW杯にも日本代表として参加しています。
代表デビューは2013年7月の東アジアカップ中国戦で、初出場初得点。国際Aマッチ通算18試合5得点を記録しました。
2016年にセレッソへ復帰後、2021年からは名古屋グランパスでプレー。ルヴァン杯優勝にも貢献しています。
2023年に古巣・徳島へ完全移籍し、2024年シーズンを最後に現役生活を終えました。
柿谷曜一朗の所属事務所

出典:【100の質問】柿谷曜一朗のプロ人生・最大の転機・意外な素顔とは? – 柿谷曜一朗 ドリームプロジェクト / YOICHIRO DREAM PROJECT
引退後の柿谷さんが所属するのは、株式会社バランスフットボール(BALANCE FOOTBALL)です。
2022年10月設立、代表取締役は高畠太志さん、所在地は東京都渋谷区。選手のブランディングや肖像管理、セカンドキャリア支援などを手がけるマネジメント会社です。
2025年4月のPR TIMESリリースでは「契約している元プロサッカー選手 柿谷曜一朗」と明記されました。同社は柿谷さんの引退試合の主催者にも名を連ねています。
柿谷曜一朗の年収

現役時代の年俸は公式には公表されていません。以下は民間サイトによる推定値で、媒体ごとに数字が異なる点には注意が必要です。
推定年俸は2006〜07年の380万円から、2013年に1,500万円、バーゼル移籍後は5,000万〜7,000万円台まで上昇したとされています。
もっとも高かったのは名古屋グランパス在籍時の推定1億円(2021〜2022年)。Jリーグ選手の平均年俸は約3,200万円とされており、それを大きく上回る水準です。
通算年俸総額は推定4億3,000万円台という試算もありますが、いずれも非公表の数字を元にした推計にとどまります。
引退後はテレビ出演や解説業といった新たな収入源が加わっていますが、こちらも金額は明らかにされていません。
柿谷曜一朗の引退後のキャリア

出典:柿谷曜一朗が引退を決断した“本当の理由” – 柿谷曜一朗 ドリームプロジェクト / YOICHIRO DREAM PROJECT
現役を退いた直後から、柿谷さんのスケジュールはむしろ埋まっていきました。
引退から1か月ほどで、U-18Jリーグ選抜のコーチや大阪ダービーの解説、各種メディア出演が続き、本人も「もう1年分ぐらい仕事したような感じ」とスポーツナビの取材に語っています。
2025年4月には日本テックボール協会のプレイングアンバサダーに就任。同年5月には、加藤純一さん率いる「MURASH FC」の一員として7人制大会「キングス・リーグ・ワールドカップ・クラブ2025」への参戦を発表しました。
ただしアキレス腱の痛みが再発し、大会直前に出場を辞退。「この痛みを隠してみんなの前でプレーするのは失礼」と、アドバイザー役に回っています。
2026年に入ってからはテレビの仕事が本格化。静岡朝日テレビ「スポーツパラダイス」で不定期MCを務めた後、同年4月から初の地上波レギュラーMCに就任しました。
同年6月のFIFAワールドカップ2026では、フジテレビ系のメインナビゲーターを担当。NHKでも日本対オランダ戦をはじめ計4試合で解説を務め、徳島新聞は「サッカー観はインテリジェンス」と評しています。
引退から1年半足らずで、ピッチの外にもう一つのキャリアを築きつつあるようです。
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まとめ

出典:柿谷曜一朗変態プレーランキング総集編 – 世界のサッカー事情
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| いつ引退 | 2025年1月18日発表(2024シーズン限り)、引退試合は2025年12月14日 |
| 経歴 | 4歳でセレッソ入り、16歳で最年少プロ契約。徳島・バーゼル・名古屋を経て徳島で現役終了 |
| 所属事務所 | 株式会社バランスフットボール |
| なぜ引退・引退理由 | アキレス腱の慢性的な痛み、サッカーへの気持ちの変化、うつ病や誹謗中傷の経験 |
| 年収 | 非公表。推定では現役最高で年俸1億円という試算も |
| キャリア | 引退後はテレビ解説・MC業に加え、2026年W杯ではフジテレビのメインナビゲーターを担当 |
次の大きな舞台は、2026年に入って本格化したテレビの仕事の延長線上にありそうです。
