ブライアン・ウルフさんが45歳で死去 死因は白血病

出典:ブライアン・ウルフ氏死去 45歳【野球速報】 – プロ野球まとめスタジアム
1イニングで打者3人を、それぞれ3球ずつの三振に切って取る。
そんな離れ業をNPBの歴史でやってのけた外国人投手が、ブライアン・ウルフさんでした。
そのウルフさんが2026年9月15日(米国時間)早朝、45歳で息を引き取ったことが分かりました。
妻のレイチェルさんがFacebookで「心苦しいのですが、非常につらい闘病の末、ブライアン・ウルフが今朝早くに息を引き取りました」と公表。
米メディアが9月16日(日本時間17日)に一斉に報じました。
死因について米メディアは明らかにしていませんが、埼玉西武ライオンズは公式サイトで「ご遺族によると、白血病との辛い闘病生活の末に息を引き取られた」と発表しています。
助っ人として日本球界を渡り歩いた9年

出典:ブライアン・ウルフ氏、45歳で死去…日本で輝いた右腕に広がる悲しみ😢⚾ – The Digest JP
メジャーでの3年間
ウルフさんは1980年11月29日、米カリフォルニア州フラートン生まれ。
1999年のMLBドラフト6巡目でミネソタ・ツインズに指名されプロ入りしたものの、マイナー暮らしは6年に及びました。
2006年のトレードでブルージェイズへ移籍し、2007年5月30日のヤンキース戦でメジャーデビュー。
この試合は、アレックス・ロドリゲスが三塁手に「Mine!」と叫んで捕球を妨げた一件でも知られる試合でした。
日本球界で見せた快挙
2009年オフにFAとなったウルフさんは、2010年から日本ハムでプレーを始めます。
2011年5月24日の横浜戦では、1イニングで打者3者連続を3球ずつの三振に仕留める快挙を達成。外国人投手では史上初の記録でした。
2012年はダルビッシュ有選手のメジャー移籍で空いた先発陣に入り10勝を記録し、日本シリーズでも先発を任されています。
ソフトバンクで2年連続日本一を経験した後、2016年に西武へ移籍。途中加入ながら4試合4勝を挙げました。
| 項目 | 成績 |
|---|---|
| NPB通算 | 167試合 56勝40敗3S 防御率3.43 |
| MLB通算 | 72試合 5勝5敗 防御率3.81 |
2018年に自由契約となり、そのまま引退しています。
菊池雄星選手が明かした素顔

西武時代のウルフさんが力を注いだのが、当時チームメイトだった菊池雄星選手の米国適応でした。
現エンゼルスの菊池選手は「試合前にうどんばかり食べていた自分に『ピザ食っとけ』と言って、ハンバーガーやピザを食べさせてくれた」と振り返っています。
英会話の教師役も務め、菊池選手のメジャー移籍後も連絡を取り合う仲だったといいます。
訃報を受けた菊池選手は「彼がいなかったら今ここにいるかなというくらい影響を受けた」とコメント。
西武関係者から連絡を受けたのは試合前夜、就寝直前だったといい「言葉が出なかった」と明かしました。
各球団が相次いで追悼のコメント

出典:【解説】元NPB投手ブライアン・ウルフ氏が45歳で死去 日本ハム・ソフトバンク・西武で活躍した名助っ人の軌跡と追悼 – 心の復興チャンネル
訃報を受け、関係先からは相次いでコメントが寄せられています。
ブルージェイズは公式Xで「深い悲しみを覚えています」とコメント。
日本ハムも公式Xで「2010年から2013年までファイターズでプレーしたブライアン・ウルフさんのご訃報に接し、心から哀悼の意を表します」と発表しました。
西武は公式サイトで「当球団で投手として共に戦ったブライアン・ウルフ氏のご逝去の報に接し、謹んで哀悼の意を表します」とコメントを掲載しています。
同じカリフォルニア州オレンジカウンティ出身で元MLB外野手のブランドン・バーンズさんも、Facebook動画で「親友の一人であり、師を失った」と追悼の言葉を寄せました。
