福岡空港で「宣伝部長」のタスキをかけていた

出典:それ詐欺ですから!波田陽区が信州から特殊詐欺撲滅を宣言します!わたし~警察官~あなたのカードを預かります~って言うじゃない~ – SBC信越放送
波田陽区さん(51)は2016年4月、家族で福岡市に引っ越しました。
移住した当時、芸能の仕事はほとんどなかったといいます。
そこで選んだのがアルバイトでした。
事務所の後輩イモトアヤコさんが宣伝する「イモトのWiFi」の福岡空港店で、スーツ姿に「宣伝部長」のタスキをかけて働いていたと、2026年9月22日の文春オンラインが報じています。
週5日、朝7時から夕方5時まで。毎朝5時起きの生活だったそうです。
ブレイク当時の最高月収は2800万円(事務所の取り分を引いた個人収入)。空港での日々は、その頃とはまるで違う暮らしでした。
きっかけは間寛平さんの一言、40歳での決断

福岡行きを勧めたのは、2007年の結婚式で証人を務めた間寛平さんでした。
間さんの家で食事をしていたときに「福岡に引っ越してみたら?」と勧められた——CHANTO WEBのインタビュー(2025年5月18日)で、本人がそう振り返っています。
背中を押したのは、もうひとつのタイミングでした。
息子さんが小学校に上がる年と、自分が40歳になる年が重なったのです。
「新しいアクションを起こす」と決め、事務所に「福岡に行かせてください」と頼んだといいます。
2016年4月1日、家族で福岡市へ転居しました。
リオ五輪と水谷隼、そして息子からの一言

出典:【快挙!史上初】リオ五輪卓球 銅メダル・水谷が波田陽区斬り!?似ているのは澤部ですから~切腹! – Marsha Morgan
状況が動いたのは移住した2016年の夏でした。
リオデジャネイロ五輪で卓球の水谷隼選手がメダルを獲得した翌日、スポーツ紙に「水谷選手と波田陽区さんの顔が似ている」という記事が載ります。
これをきっかけに、仕事の依頼が増えたそうです。新R25(ライブドアニュース、2019年3月20日)の取材では、2019年時点で福岡のテレビ・ラジオのレギュラーが8本になっていたことも明かされています。
一方、仕事がなかった時期の家庭では、こんなやり取りもありました。
幼い息子から「お父さんなんで家にいるの?」「なんでテレビに出ないの?」と聞かれ、玄関では「お父さん、もっと違うネタ考えたほうがいいよ」と言われた。
CHANTO WEBのインタビューで、本人がそう明かしています。
「息子には公務員になってほしい」現在の本音

福岡での10年を経て、波田陽区さんの心境は以前と変わったようです。
「福岡に引っ越してから一つひとつがありがたいなと思うようになりました」とCHANTO WEBで語っています。文春オンラインの取材では、東京時代は「塞ぎ込んでいた」が、福岡で「自分を取り戻せた」とも話しました。
そして息子さんについては、こう明かしています。
「本音を言えば息子には公務員になってほしいです」
2026年時点で高校2年生になった息子さんは軽音楽部でギターを担当中。波田陽区さんが使っていないエレキギターを、妻から譲り受けたそうです。
浮き沈みの激しい芸能界を歩んできたからこその本音でしょう。「浮き沈みの激しい芸能界で一瞬でも活躍できたとしたら、仮に明日死ぬとしても、あぁ、楽しい人生だったなって思える」とも語っています。
現在は福岡のKBCラジオで『PAO~N』『3時は!ららら』『波田陽区のRADIO侍』のレギュラーを持ち、福岡での暮らしを土台に活動を続けています。
