1974年7月17日、腕を失った瞬間

出典:【大谷翔平】成功率100分の1のトミー・ジョン手術から半世紀、米国投手医学150年が大谷翔平に集まった理由とは… – 大谷ベースボールニュース
「腕をどこか別の場所に置き忘れたようだった」。
トミー・ジョン氏は、左肘の靱帯を断裂した瞬間をそう振り返っています。
1974年7月17日、ロサンゼルス・ドジャースの左腕投手だった同氏は、エクスポズ戦でシンカーを投げた際に左肘の内側側副靱帯(UCL)を断裂しました。
当時31歳。355試合に登板し124勝を挙げていた投手キャリアは、この一球で終わりかけていました。
そのトミー・ジョン氏が2026年8月15日(現地時間、日本時間16日)、フロリダ州の自宅で死去しました。83歳でした。
妻シェリルさんら家族に看取られたと、代理人のマイク・マグワイア氏が発表しています。膀胱がんを患い、8月上旬から自宅でホスピスケアを受けていたと報じられています。
「成功率1%」から始まった手術

出典:なぜ100分の1の成功率と言われたトミー・ジョン手術から半世紀、150年のアメリカ投手医学が大谷翔平に集結したのか – 日本スポーツトゥデイ• 3.4M • views • 8 hours ago
チームドクターのフランク・ジョーブ博士は当初、ジョン氏に「家に帰るように」と告げています。もう野球はできない、という判断でした。
それでも1974年9月25日、ジョーブ博士は右前腕の腱を左肘に移植する再建手術に踏み切ります。所要時間は約4時間。
伝えられた成功確率はわずか1%でした。
この数字について、ジョーブ博士は後年「偽の希望を与えないよう、あえて低く伝えた」と認めています。
手術自体は成功したものの、1975年は全休を余儀なくされました。
ギプス生活は4か月に及び、左手の萎縮や神経障害で尺骨神経の再手術も受けています。
復帰後の投球フォーム模索
復帰にあたっては、運動生理学の博士号を持つ同僚投手マイク・マーシャル氏と、新しい握りを研究したといいます。
記録は刻んだ、それでも届かなかった殿堂

1976年に復帰したジョン氏は、通算26シーズンをプレー。近代大リーグでは最長タイの在籍年数です。
1989年4月4日には45歳317日で先発して勝利。大リーグ史上最年長の開幕投手勝利という記録も残しました。
一方で、殿堂入りは果たせませんでした。
1995年から2009年にかけての投票では、最高でも31.7%どまり。2025年のクラシックエラ委員会でも12票中7票にとどまっています。
通算288勝は、1900年以降に殿堂入りしていない投手の中ではロジャー・クレメンスに次ぐ2位の勝ち星です。
家族の苦難と、最期に残した手紙

出典:成功率90%以上!トミー・ジョン手術に失敗した男の最後のマウンド【感動の決断】 – 日本オールスターズ
ジョン氏の人生には、手術以外にも大きな試練がありました。
1981年8月、当時2歳の息子トラビスさんが別荘の3階窓から転落。約3週間の昏睡状態を経て、完全に回復しています。
2010年には息子のテイラーさんが28歳で死去。処方薬の過剰摂取が関連していたと伝えられています。
この出来事をきっかけに、ジョン氏は自殺予防の財団「Let’s Do It」を設立しました。
2020年12月には新型コロナウイルスに感染して入院。その後ギラン・バレー症候群を発症し、数か月にわたり下肢麻痺の状態が続いたといいます。
死の1週間ほど前、8月8日のヤンキース「オールドタイマーズデー」を欠席したジョン氏は、ファンへの別れの手紙を公表しました。
「私の腕を救い、投げ続けることを可能にしてくれたジョーブ博士に感謝します」
「あの手術はその後、今日の最高の投手たちを含む数え切れない投手のキャリアを救ってきました」
手紙は、父の言葉で締めくくられていました。
「メジャーで大成功しようとしまいと、お前はいつでもインディアナ州テレホートのトミー・ジョンのままだ」
2022年6月には、1974年の手術時に使ったギプスをスミソニアン博物館に寄贈しています。ジョーブ博士やドジャースの同僚、ビン・スカリー氏のサイン入りの品でした。
現在、トミー・ジョン手術からの復帰成功率は約80%まで高まり、2024年時点で現役大リーグ投手の約35%がこの手術を経験しているとされています。
手紙にあった「今日の最高の投手たち」のキャリアを、その名は今も支え続けています。
