死去4日前、電話の向こうで訴えていた言葉

出典:張本勲さん(86)死去 プロ野球史上最多3085安打(2026年9月10日) – ANNnewsCH
2026年9月9日午後、張本勲さんが東京都内の病院で死去しました。86歳でした。
その4日前、9月5日のことです。
毎日新聞の記録報道企画「ヒバクシャ」の電話取材に応じ、こう語っていました。
「核兵器は全世界でなくさなきゃダメですよ」。
取材を担当した松本美緒記者によると、口調はいつもと変わらず熱がこもっていたといいます。
「細かいことは分からんが、持ってはいけないものは持ってはいけない。日本だけじゃない、全世界が、だよ」。
「武器で殺し合うような戦争は、絶対にやってはいけないんだ」とも続けました。
この記事が配信されたのは9月10日、名球会が訃報を発表した当日でした。
5歳で被爆、姉を失った夏

出典:【速報】元プロ野球選手・張本勲さん死去 86歳 NPB史上初通算3000安打達成 #shorts – 日テレNEWS
張本さんは1940年6月19日、広島市生まれ。5人きょうだいの4番目でした。
1945年8月6日、5歳のときに自宅玄関先で被爆します。
被爆者健康手帳には「爆心地から2.3キロ」と記載されていました。
母がとっさに覆いかぶさり、その背中にガラス片が刺さったといいます。
比治山の陰にいたことで、熱線の直射は免れました。
翌8月7日、6歳上の長姉・点子さんが山頂での勤労奉仕中に被爆します。
焼けただれた姿で担架に運ばれてきたものの、手当てもできないまま数日後に亡くなりました。
高校時代、校内弁論大会で「ケロイド乙女」と題し、姉の死を語って優勝したこともありました。
66歳まで語らなかった理由

出典:元プロ野球選手で被爆者 張本勲さん死去 広島でも惜しむ声 – 広テレ!NEWS
現役時代から長く、被爆体験は封印されていました。
年に一度の健康診断が、恐怖だったといいます。
原爆症で亡くなった友人もいました。
「原爆症の人間だと思われたくなかった。子どもの頃に差別を見ていたので、言わない方がいいと思った」。過去の取材で、そう振り返っています。
転機は2006年、66歳のときでした。
テレビで、原爆投下都市を知らない若いタレントを目にしたことがきっかけです。
「体験を語れるのは我々の世代が最後」と考え、被爆者であることを公表しました。
2008年8月6日には、広島平和記念資料館を初めて訪れています。
晩年も貫いた「核なき世界」への思い

出典:【追悼】プロ野球史上初3000安打の「ご意見番」 被爆者の張本勲さん死去 広島でも惜しむ声 – 広テレ!NEWS
2016年、オバマ大統領の広島訪問後には「サンデーモーニング」で心境を語りました。
「許しはしませんよ。朽ち果てるまで許すことはできないけどもね。やったほうのトップが来てくれた。ほっとして」。
2022年、ロシアのウクライナ侵攻で核使用が示唆された際は「戦争と核使用は人間のすることではない」と発言しています。
戦後80年となった2025年の夏、「サンデーモーニング」のスペシャルご意見番でも訴えを重ねました。
「あなたの両親が、あなたの兄弟が、あなたの娘がそうなっても、あなたはまだ戦争をしますか」。
日本被団協のノーベル平和賞受賞時には、こう漏らしています。
「良かった。でもね。もっと早くほしかった。亡くなった先人たちに聞かせてあげたかった」。
最後のテレビ出演は2026年8月2日、「サンデーモーニング」の生放送でした。
その3日後に受けた電話取材が、活字として残った最後の訴えになりました。
