恩師に届けた「約束の一勝」

2026年5月12日、神宮のマウンドで西勇輝投手は6回2安打無失点。300試合連続先発を勝利で飾りました。
翌日に向かった先は、地元の三重です。
スポニチによると、2025年秋に亡くなった少年野球時代の監督の仏壇に、「初勝利」と書いたウイニングボールを供えました。
「やっと約束の一勝を届けにいけた。本当は試合を見届けてほしかったけど、間に合わなくて申し訳ない」。
その阪神・西投手(35歳)が、今季限りで現役を引退することが分かりました。スポニチ、報知、デイリーが2026年9月24日に報じています。
正式発表は近日中の予定です。
引退を決めた理由は右膝の故障

出典:西勇輝が引退を決断した舞台裏に絶句…かつて岡田彰布が見出したエースの終焉に言葉を失う【阪神タイガース】【プロ野球】 – Full Swing Bad【球界の裏側レポート】
診断は2025年春
きっかけは2025年春に診断された「右膝内側側副じん帯の変性」です。
プロ17年目で初めての大きなけがでした。この年の一軍登板は1試合だけ。
「100%」が出せない苦しさ
スポニチには、こう語っています。
「ケガがなかったら、多分やめるっていう気持ちになってないと思う」
本来の投球を取り戻そうとしても、感覚のずれが何より苦しかったといいます。日刊スポーツによると、決め手は「100%」の力を出せなくなったことでした。
6月に決断、球団は慰留
決断は2026年6月。球団も了承し、お世話になった関係者にも連絡したとスポニチは伝えています。
デイリースポーツによると、球団は慰留しましたが、本人の意思は固かったとのことです。
記録で振り返る18年間

出典:阪神・西勇輝が今季限りで引退へ…18年間のプロ生活に幕😭⚾ – Japan News
通算成績と主な節目
通算は351試合登板で127勝113敗。2ケタ勝利は7度、阪神では2019年と2020年に2年連続で達成しました。
| 年 | 出来事 |
|---|---|
| 2009年 | 9月21日、楽天戦で一軍デビュー |
| 2012年 | ソフトバンク戦でノーヒットノーラン(平成生まれの投手で初) |
| 2018年 | 国内FA権を行使し、阪神へ移籍 |
| 2019年 | 10勝8敗、防御率2.92で初のゴールデン・グラブ賞 |
| 2023年 | 全球団勝利(史上20人目)。リーグ優勝と日本一を初経験 |
| 2026年 | 6月4日、通算1500奪三振(NPB史上61人目) |
歴代2位タイの連続先発
数字の中で目を引くのが、306試合連続先発登板です。
2026年9月2日のヤクルト戦で、同じ石川雅規投手と並ぶ歴代2位タイに。1位は山内新一氏の311試合です。
2011年から2024年まで14年連続で開幕ローテーション入りしていることも、故障の少なさを物語ります。
2度の顔面神経麻痺
順風満帆ではありませんでした。2010年夏、特発性顔面神経麻痺を発症。医師に野球を続けられないと言われるほどでしたが、約2カ月で回復しています。
2015年にも再発しましたが、5月3日に実戦復帰しました。
復活の2026年と、最後の日々

出典:西勇輝(35)さん、球団は慰留も引退を決断【なんJ反応】 – 2ch5ch野球ちゃんねる
617日ぶりの白星
2026年4月30日、今季初登板のヤクルト戦(神宮)で5回2失点。チームは10-2で勝ち、西投手は617日ぶりの白星を挙げました。
その後は3連勝。復活を印象づけました。
今季は8試合で3勝4敗
今季の成績は8試合、3勝4敗、防御率3.29です(報知)。
6月14日のオリックス戦を最後に一軍から離れ、8月25日の中日戦は敗戦投手に。9月2日のヤクルト戦は4回途中でノックアウトされ、翌日に登録を抹消されました。
この試合が、結果的に最後の一軍先発になったことになります。
息子の存在
日刊スポーツによると、心の支えは息子でした。「まだ野球をやってほしい。パパを応援したい」と言われたそうです。
西投手は「あと何試合か分からない。記憶に残してあげたい」と語っています。
引退試合とセレモニーの予定

出典:西勇輝、今季限りで引退表明【野球速報】 – プロ野球まとめスタジアム
デイリースポーツによると、引退試合は追加日程で組まれる広島戦(甲子園)で行う予定です。
スポーツ報知は、球団が本拠地最終戦での引退セレモニーと、功労者としてのポスト用意を考えていると伝えました。
会見の日時や藤川球児監督のコメントは、9月25日時点で確認できていません。
帽子の裏の言葉

出典:【え?】阪神・西勇輝、防御率3点台なのに突然の現役引退 – なんJ侍チャンネル
Wikipediaによれば、西投手は帽子の裏に「きっと大丈夫」と書いています。オリックス時代は「スマイル王子」と呼ばれ、2011年から日本赤十字社などへ毎年寄付を続け、他球団から移籍した選手として初めて若林忠志賞も受けました。
18年間を振り返り、スポニチにこう話しています。
「みんないい思い出。一つを決めるのは無理やな。ほんまに幸せでしょ」
マウンドでの最後の姿は、甲子園で見られる予定です。
