山口良治さん、83歳で死去

出典:【“泣き虫先生”山口良治さん(83)死去】「スクール☆ウォーズ」モデル 伏見工高ラグビー部を日本一導く – 日テレNEWS
「泣き虫先生」として知られたラグビー指導者、山口良治さんが亡くなりました。
2026年5月29日、脳梗塞のため京都市内の病院で死去。83歳でした。
京都・伏見工業高校(現・京都工学院高校)ラグビー部の元監督・総監督として、長く高校ラグビー界を引っ張った人物です。
スポニチやNHK、時事ドットコムなど複数の社が、いずれも「5月29日に脳梗塞で死去、83歳」と報じています。
1943年2月15日、福井県の南西郷村(現・美浜町)の生まれ。感動するとすぐ涙を流す姿から、「泣き虫先生」と呼ばれて親しまれました。
ドラマ「スクール☆ウォーズ」のモデルになった人

出典:「泣き虫先生」山口良治さん死去 「スクール・ウォーズ」のモデル 京都・伏見工業ラグビー部を初優勝に導く|TBS NEWS DIG – TBS NEWS DIG Powered by JNN
山口さんといえば、テレビドラマ「スクール☆ウォーズ」を思い浮かべる人も多いはずです。
1984年に放送されたTBS系のこのドラマ。主人公・滝沢賢治のモデルが、まさに山口良治さんでした。
荒れていた学校と生徒を、体当たりの指導で立て直していく——そんな物語の下敷きになった実話があります。
山口さんは現役引退後の1974年に伏見工業高校へ赴任し、翌1975年にラグビー部監督へ就任。
当時の伏見工は荒れていましたが、鉄拳も辞さないスパルタ式の指導で、生徒たちを更生させていきました。
不良少年から立ち直り、日体大を経て教師になった山本清悟さんのように、人生が変わった教え子もいます。
自身も日本代表だった
意外と語られませんが、山口さんは指導者になる前、トップ選手でした。
1966年に日本代表へ選出。フランカー兼ゴールキッカーとして活躍します。
1971年の対イングランド戦では、キックで日本側唯一の得点を記録。1973年の英仏遠征にも出場しました。
平尾誠二を口説き落とした熱意

出典:【スクール☆ウォーズ対談⑤】ALL 平尾の入学願書に飛び上がって喜んだ 伏見は時代の最先端を行っていた 大八木淳史のラグビーレジェンド対談シーズン2with山口良治氏 – スポニチチャンネル
教え子の代表格が、後に日本代表監督も務めた平尾誠二さんです。
この2人の出会いには、知られざるエピソードがあります。
中学生だった平尾さんのプレーに惚れ込んだ山口さんは、自ら平尾さんの自宅を訪問。熱く夢を語りかけ、伏見工業への進学を誘いました。
実は平尾さん、花園高校への特待生入学が決まりかけていたといいます。
それでも山口さんの誘いを受け、伏見工へ進学。後の全国初制覇では主将を務めました。
ただ、平尾さん本人はこう振り返っています。
> 高校時代の恩師である山口良治先生の指導法はスパルタ方式で、入学した当初は練習が嫌で嫌で仕方がなかった。しかし苦しい練習を続けるうち、自分が強くなっていくのが実感できた
嫌で仕方なかった、と正直に明かすあたりが、なんともリアルですよね。
「信は力なり」に込めた信念とこれから

出典:😢「信は力なり」伝説の教師・山口良治さん逝く…山下真司の追悼に涙が止まらない🏉 – Japan news
山口さんの座右の銘は「信は力なり」。
これは恩師・大西鐵之祐さんから受け継いだ言葉で、同名の著書も出版しています。
人を信じる力が、選手を伸ばし、チームを勝たせる——その信念が指導の根っこにありました。
監督としての歩みも振り返っておきます。
- 1979年度:全国高校大会(花園)に初出場
- 1980年度:国体で両校優勝、全国大会で悲願の初優勝
- 1992年度:全国大会で再び優勝
- 1998年:準優勝を最後に監督を退任
- 2013年:IRBラグビースピリット賞を受賞
就任から初優勝までは約5〜6年。決して短い道のりではありませんでした。
指導の現場を退いた後も、その教えは平尾誠二さんや高崎利明さん、細川隆弘さんといった教え子たちへ受け継がれています。
「泣き虫先生」が残したものは、勝敗の記録だけではないはずです。
