2026年5月29日、「泣き虫先生」の愛称で知られる山口良治(やまぐち よしはる)さんが死去した。享年83歳。
京都市立伏見工業高等学校ラグビー部の監督として長年指導し、全国高校ラグビー大会で4度の頂点に立った人物だ。
1984年放送のTBSドラマ『スクール☆ウォーズ〜泣き虫先生の7年戦争〜』の主人公・滝沢賢治のモデルとしても広く知られている。京都新聞などが報じた。
0対112の大敗から全国制覇へ──再建の軌跡

出典:なぜ「泣き虫先生」は愛された?山口良治氏死去 ── 視聴率20%超の真相 – 仁源
1975年春、山口さんは体育教師として伏見工業高校に赴任。翌1976年、ラグビー部の監督に就任した。
当時のチームは荒れていた。不良生徒が多く、部員からの反発も強かった。
その現実を象徴するのが就任直後の試合だ。
花園高校に0対112という記録的スコアで大敗。この112点差という数字は、チームの実力と状況をそのまま示していた。
それでも山口さんは選手に向き合い続けた。涙を流しながら情熱をぶつける姿が、「泣き虫先生」という愛称の原点となる。
全国初出場から初優勝まで
就任4年目の1979年度、チームは全国大会へ初出場を果たす。
翌1980年度(第60回大会)、ついに全国高校ラグビー大会で初優勝。同年の栃木国体でも優勝を飾った。
1981年には宿敵・花園高校を55対0で下し、完璧なリベンジを果たす。
「0対112」から「55対0」へ。この逆転劇がそのままドラマの核心となった。
ドラマ『スクール☆ウォーズ』に描かれた実話

出典:元伏見工ラグビー部監督〝泣き虫先生〟山口良治氏が死去、83歳 ドラマ「スクール☆ウォーズ」モデル、数々の日本を代表するラガーマン育てた – JPOP TV
1984年、TBSで『スクール☆ウォーズ〜泣き虫先生の7年戦争〜』が放送された。
山口さんの指導エピソードをもとに、主人公・滝沢賢治(演:山下真司)が描かれた作品だ。ドラマは大ヒットし、山口さんの指導スタイルが全国に知れ渡った。
ドラマの名台詞として今なお語り継がれるのが、こんな言葉。山口さんの指導精神を反映したものとして知られる。
> 「お前らゼロか?ゼロの人間なのか?一生ゼロのままで終わるのか?」
> 「人間は誰でも死ぬんだ。残された時間を燃焼しろ!!そこにおまえの命の輝きがあるんだ!!」
40年以上経った今も色褪せない言葉だ。
現役時代の伝説と、先立った教え子・平尾誠二

出典:【スクール☆ウォーズ対談⑤】ALL 平尾の入学願書に飛び上がって喜んだ 伏見は時代の最先端を行っていた 大八木淳史のラグビーレジェンド対談シーズン2with山口良治氏 – スポニチチャンネル
日本代表として残したキック
山口さんは指導者になる前、ラグビー日本代表(フランカー)としても活躍していた。1967年に代表入りし、公式戦・準公式戦を含め13試合に出場した名選手だ。
致知出版社の記録によれば、1971年9月の対イングランド戦(秩父宮ラグビー場)で山口さんが挙げたペナルティゴールが、その試合における日本代表唯一の得点だった。
「伝説のキッカー」としての顔を持つ指導者でもあった。
教え子・平尾誠二が先に逝く
山口さんの教え子のなかでとりわけ広く知られるのが、のちに日本代表監督も務めた平尾誠二さんだ。
伏見工業高校時代に山口さんの薫陶を受け、日本ラグビーを代表する存在へと育った。
しかし2016年10月20日、平尾さんが先に世を去った。師匠として深い悲しみを語っていた山口さんが、その10年後の2026年5月29日に静かに逝った。
山口良治さんが残した実績

出典:涙のツボ「泣き虫先生山口良治先生(日本語字幕付き)」(プレゼンター:木村 祐一さん) – RyoKoto22
実はあまり知られていないが、山口さんが総監督に移行した1998年以降も伏見工業は全国優勝を重ね、実績は現役監督時代にとどまらない。
主な成績をまとめると以下のとおりだ。
| 大会 | 結果 |
|---|---|
| 全国高校ラグビー大会 | 優勝4回(1980・1993・2001・2006年度)、準優勝2回 |
| 全国高校選抜ラグビー | 優勝1回(2007年) |
| 国体 | 優勝3回(1980・1988・1989年) |
0対112の大敗を出発点に、涙と情熱でチームを全国の舞台に押し上げた。
「残された時間を燃焼しろ」という言葉は、山口良治さん自身の83年の生涯そのものだったといえるだろう。
