宮崎・延岡の漁師が、プロ野球で110勝していた

出典:【朗報】柳田悠岐さん、マジでとんでもない事態にwww – 野球のわだい【2ch反応まとめ】
宮崎県延岡市で、漁に出ている男性がいます。
その人の現役時代の通算成績は、18年間で110勝140敗。1979年と1980年、近鉄バファローズのパ・リーグ連覇を投げ支えた右腕です。
名前は柳田豊さん。福岡ソフトバンクホークスの柳田悠岐選手と、血のつながった親戚にあたります。
「柳田悠岐 叔父」で検索すると必ず名前が挙がるのがこの人。ただし続柄は、厳密には叔父ではありません。
一方で「妹」のほうは、事情がまるで違います。調べれば調べるほど、確かな出どころが消えていくタイプの情報でした。
柳田悠岐の叔父

出典:ホークス柳田悠岐死球😭小島和哉の2球連続危険な投球に球場騒然😱自主トレ仲間の安田尚憲が可愛いく謝ってました‼️2026.9.12⚾️ホークス対千葉ロッテ – YANATAKAちゃんねる
正しい続柄は「従叔父」
Wikipediaの柳田悠岐のページには、親族欄にこう明記されています。「従叔父に元西鉄ライオンズ→太平洋クラブライオンズ→近鉄バファローズの投手・柳田豊(父親の従兄弟)」。
従叔父(いとこおじ)とは、父親のいとこのこと。つまり柳田豊さんは、悠岐選手の父といとこ同士という関係になります。
柳田豊さん側の項目にも「従甥にプロ野球選手の柳田悠岐がいる」と相互に記載あり。双方向で確認が取れる、数少ない確定情報です。
ネットで「叔父」と呼ばれているのは、この従叔父が省略されて広まった形。世代でいえば、ひとつ上の親戚筋にあたります。
現役時代の成績は?
1951年8月31日、宮崎県延岡市生まれ。延岡商業高校を経て、1969年のドラフト8位で西鉄ライオンズに入団しました。本名は「清音」。
初登板は1970年8月4日。西鉄から太平洋クラブへと球団名が変わる時代を投げ抜き、1975年から1987年までは近鉄のユニフォームを着ています。
通算成績を並べると、その息の長さがよく分かります。
- 18年間で110勝140敗、防御率3.97
- 投球回は2357回2/3
- 2桁勝利は通算5度(1978年から4年連続を含む)
身長175cm・体重65kg。現代のプロ野球投手の体格と比べると、かなり細身の部類に入ります。
「ニャロメ投法」と呼ばれた投球
体格をカバーしたのが、サイド気味の変則アンダースローでした。
低い位置から浮き上がってくるボールで、打者に真っ向から勝負を挑む。このスタイルに付いた呼び名が「ニャロメ投法」。週刊ベースボールONLINEのコラムでも、猛牛軍団を支えた技として取り上げられています。
変則フォームの投手は逃げの投球に走りがちですが、真っ向勝負で通算2357回を投げきった点が、この人の異質さ。
打球を外野スタンドへ運び続ける従甥と、腕を下げて打者へ向かっていった従叔父。方向は逆でも、真っ向勝負という一点だけは重なって見えます。
引退後は飲食店経営、そして漁師に
36歳で現役を退いた後、柳田豊さんは大阪府藤井寺市で飲食店を経営しました。藤井寺といえば、当時の近鉄の本拠地があった街です。
その後は故郷の延岡へ戻り、現在は漁師として生活していると記録されています。
プロ野球で110勝した投手が、解説者でもコーチでもなく海へ。この経歴の振れ幅は、球界全体を見渡してもそう多くありません。
柳田悠岐の妹

出典:【朗報】柳田悠岐の馬が新馬勝利、ダービー4着馬の妹と判明 – プロ野球反応集上げるマン【なんJまとめ】
妹は何人いる?
ここからは、叔父の話とは情報の質がはっきり変わります。
Wikipediaの柳田悠岐の項目に、両親や兄弟姉妹の記載は一切ありません。新聞、スポーツ紙、球団公式のいずれでも家族構成は公表されていない状態です。
ネット上では「3人きょうだいの長男で、妹が2人」という記述が共通して見られます。ただし、これを報じた権威ある媒体は確認できませんでした。
つまり現時点で言えるのは、妹が2人いるとされるものの、公式に裏付けられてはいないという一点だけ。
名前や職業は公表されている?
一部では、妹2人の名前や「身長170cm前後」「地元の広島県で公務員をしている」といった具体的な記述まで出回っています。
しかし出どころをたどると、いずれも個人サイトや転載記事に行き着きました。本人や球団が語った形跡はありません。
答えははっきりしています。妹の名前・職業・年齢は非公表です。
プロ野球選手の家族情報は、本人がインタビューやSNSで自ら明かさない限り表に出ない慣習があります。一般人である家族のプライバシーを球団が守る以上、これは当然の扱いといえます。
大みそかに実家で刈った丸刈り
家族との距離感がのぞいたのが、2017年1月5日のことでした。
柳田選手は丸刈り姿でグアムの合同自主トレへ出発。その髪を刈ったのは前年12月31日、広島市内の実家だったとされています。
「妹に刈ってもらった」という話もネット上に見られますが、確認できるのは実家で刈ったところまで。大みそかに広島の実家へ戻り、そこで頭を丸めてから海外の自主トレへ飛ぶ——読者としては、その年末の光景のほうがよほど想像をかき立てられませんか。
髪型は柳田悠岐のスイッチになっている

出典:【どうしてこうなった】柳田悠岐さんの髪の毛、限界突破【なんJコメント付き】 – 虎っくれこーど
2024年1月、柳田選手はチームメートのウォーカー選手の丸刈りに触発され、ロン毛から短髪へ、さらに短くと髪型を変えました。
このとき口にしたのが「もう一度カマします」という一言。パ・リーグ.comが伝えています。
2017年の丸刈りも、2024年の断髪も、タイミングは1月の自主トレ期。過去の言動を並べると、髪を切るのは決まって「立て直したい年」の入り口でした。
髪型の変化がそのまま本人の決意表明になっている選手は、球界でも珍しい部類に入ります。
「あとちょっとしか野球やらない」発言の背景

出典:柳田悠岐×DAYBREAK FRONTLINE – はんがーばー
2025年1月、自主トレを公開した場で飛び出したのがこの言葉でした。Full-Countが報じています。
7年契約の最終年へ向かう自主トレでは、西日本スポーツの取材に「3年駄目だったら終わりでしょ」「すごい大事になる」とも語りました。危機感の濃さが、そのまま言葉数に出ているような発言です。
自主トレ地の大分県臼杵市・佐伯市も、いまや恒例。臼杵市の公式サイトが合同自主トレの告知を出すほど、地元行事として定着しています。
もうひとつ。「ギータ」という愛称は、ルーキー時代に川﨑宗則さんが付けたもの。広島東洋カープの大ファンとして育ち、幼少期に旧広島市民球場へ何度も足を運んだ少年が、そのままホークスの主砲になりました。
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まとめ

出典:【驚愕の2打席連発】柳田悠岐『育ち盛りギータくんの“わんぱくフルスイング”!!! 勝利に導く今季14号&15号!!!』 – (パーソル パ・リーグTV公式)PacificLeagueTV
| キーワード | 分かったこと |
|---|---|
| 柳田悠岐 叔父 | 正確には従叔父(父親のいとこ)。元西鉄→太平洋クラブ→近鉄の投手・柳田豊さん。18年間で110勝140敗、防御率3.97、2桁勝利5度。引退後は藤井寺市で飲食店を営み、現在は故郷・延岡で漁師 |
| 柳田悠岐 妹 | 妹が2人いるとされるが、名前・年齢・職業はいずれも非公表。権威ある媒体の報道はなく、断定できる情報は存在しない |
叔父は記録が残り、妹は記録が残っていない。同じ「家族」の検索ワードでも、たどり着ける情報の厚みはここまで違います。
毎年1月、大分県佐伯市や臼杵市に姿を見せたとき、まず確認されるのは打球でも体重でもなく髪の長さ。次の自主トレ公開も、おそらくそこから始まります。
