八村塁の両親は離婚したが、今も良好な家族関係を保っている

出典:八村塁の本当の国籍と両親の正体に…衝撃の事実!!結婚間近がウワサされる現在の彼女はインスタグラマー…!?NBAのスーパープレーは高校時代の恩師のおかげ!? – タイガー太郎 えんため部
八村塁選手の両親は、彼が中学1年生のときに離婚しています。
母・麻紀子さんは後に「別れた後も、塁は普通に父親と会ったりしていましたから、私が『女手一つで育てた』というわけではないです」と語っています。
実際、2019年のNBAドラフト会議では、父・ザカリ・ジャビルさんと母・麻紀子さんが同席。
指名発表後、八村選手は両親と抱擁を交わしました。
このシーンからも分かるように、離婚後も家族関係は良好に保たれています。
離婚は決して珍しいことではありませんが、両親が協力して子供を支え続けた点は注目に値します。
八村選手がNBAという夢舞台に立てた背景には、こうした家族の絆があったと言えるでしょう。
八村塁の親はどんな人物?父と母それぞれの背景

八村選手を育てた両親は、それぞれ非常にユニークな経歴を持っています。
父・ザカリ・ジャビルは7カ国語を話すエリート
父親のザカリ・ジャビルさんは、西アフリカのベナン共和国出身。
日本に来たベナン人としては3番目という、かなり早い時期の来日です。
奨学金でエジプトのカイロ大学に留学した経歴を持つエリートで、日本語やフランス語など7カ国語を話せるとのこと。
元バスケットボール選手でもあり、富山県内で居酒屋を経営していました。
八村選手の高身長やスポーツ能力は、父親から受け継いだ部分も大きいと考えられます。
母・麻紀子は語学講師として活躍
母親の麻紀子さんは日本人で、語学が堪能です。
英語とフランス語の教室を開いており、英会話スクールの講師や小学校の外国語講師としても活動していました。
バスケ選手ではありませんが、子供たちのスポーツ活動を全力で支援。
八村選手は4人きょうだいの長男で、弟の阿蓮さんも高身長を活かしてバスケをしており、東海大の学生でB.LEAGUEのサンロッカーズ渋谷で特別指定選手として活躍しています。
母・麻紀子さんの教育方針が、子供たちの才能を開花させたと言えるでしょう。
八村塁の子供の頃は差別との闘いだった

出典:【衝撃】八村塁&阿蓮兄弟が人種差別のDMを受け取った件! – ダンクマンヨシの部屋
八村選手の子供時代は、決して順風満帆ではありませんでした。
富山で生まれ、スポーツ万能な少年時代
富山市で生まれた八村選手は、幼少時は陸上の短距離と野球に打ち込んでいました。
小学生時代は3LDKの県営住宅に住み、陸上では100m走で全国大会に出場するほどの実力。
野球では投手と捕手を兼任し、イチローに憧れていたそうです。
球速が速すぎて子供では捕球できなかったため、投手から捕手に転向したというエピソードからも、当時からずば抜けた身体能力を持っていたことが分かります。
しかし成長痛による膝の痛みで、野球から離れることに。
バスケとの出会いは「根負け」がきっかけ
中学入学時、八村選手はバスケットボールのルールも知りませんでした。
ところが友人の熱心な勧めで根負けし、バスケ部に入部。
これが人生の転機となります。
中学時代のコーチに「お前はNBAに行く!」と言われたことが、夢の始まりとなりました。
本人も「バスケを楽しむっていう事が僕の原点」と語っており、偶然の出会いが世界的な選手を生んだのです。
黒人ハーフであることへの差別と克服
八村選手は黒人ハーフであることから、幼少期に差別を感じた経験を持っています。
本人は「かなりきつい経験」があったと振り返っています。
中学1年のころ、3年生の数人に取り囲まれてからかわれたことも。
そのときバスケ部のメンバーが「盾」になって守ってくれたそうです。
しかしスポーツが全般的にできたことから周囲に認められるようになり、「自分が自分であることはとても素晴らしいこと」と考えるようになったと語っています。
この経験が、後に「世界には、人種はただ1つしかない」という名言につながっていくのです。
八村塁が語る家族と日本代表への想い

出典:八村塁が子ども達にみせた”世界の景色” 超豪華!3日間のバスケキャンプに密着【BLACK SAMURAI 2025】【報ステ完全版】(2025年9月4日) – ANNnewsCH
八村選手は家族の支えを受けながら、日本代表としての責任も強く意識してきました。
「どれだけ自分を信じるかじゃないかな」
八村選手の代表的な名言の一つです。
他にも「子どもたちにいい影響を与えられるような選手になりたい」と語っており、次世代への影響を常に考えています。
2024年の協会批判発言と2026年の覚悟の表明
2024年11月、八村選手は「日本代表として僕もずっとやっていく中で、強化とか子供たちのためとか、日本のバスケを強くしていくためにやっている感じが僕はあったけど、僕が思うに、そういう目的じゃなくお金の目的があるような気がする」と発言し話題になりました。
2026年4月には、松岡修造さんのインタビューで「日本を本気で強くしようとするなら、覚悟が必要であること。日本代表は、子供たちの憧れる存在でなくてはならないこと。絶対負けないというメンタルが大前提であること」と語っています。
こうした発言の背景には、家族に支えられながら世界の頂点を目指してきた経験があると考えられます。
レブロン・ジェームズへの感謝
八村選手はレイカーズでレブロン・ジェームズと共にプレー。
「彼の体のケア、ウエイト、練習、コート内外の多くを学んだ。バスケットボールのことをたくさん話した。本当に感謝している」「もう一度勝たせたい」と発言しています。
父親がバスケ選手だったこともあり、家族の影響とトップ選手からの学びが、八村選手を成長させ続けているのです。
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まとめ:八村塁の家族と成長の軌跡

出典:【日本の星】八村塁のバスケ人生を完全解説! – バスケの笑える怪物【NBAおもしろ】
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 両親の離婚 | 中学1年生のときに離婚。離婚後も良好な関係を保ち、2019年のNBAドラフト会議には両親が同席 |
| 父親 | ザカリ・ジャビル(ベナン共和国出身)。7カ国語を話すエリートで元バスケ選手。富山で居酒屋を経営 |
| 母親 | 麻紀子(日本人)。英語・フランス語講師として活動。子供たちのスポーツ活動を全力支援 |
| 子供の頃 | 富山で生まれ、陸上・野球で活躍。中学でバスケ開始。黒人ハーフとして差別を経験したが、スポーツで認められ克服 |
| バスケとの出会い | 中学入学時はルールも知らなかったが、友人の勧めで入部。コーチに「お前はNBAに行く!」と言われたことが夢の始まり |
| 代表的な名言 | 「世界には、人種はただ1つしかない」「どれだけ自分を信じるかじゃないかな」 |
八村選手の成功は、両親の離婚という困難を乗り越え、家族全員で支え合ってきた結果です。
子供時代の差別体験も、彼を強くし、次世代への影響を意識する選手に育てました。
家族の絆とスポーツが、一人の少年を世界的なアスリートへと成長させたのです。
